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東京高等裁判所 昭和54年(ラ)612号 決定

抗告人 静岡市長

相手方 井上治子

主文

原審判を取り消す。

抗告人の本件処分に対する相手方の不服申立を却下する。

理由

一  本件抗告の趣旨及び理由は別紙抗告状(写)中の記載のとおりである。

二  本件記録によれば、相手方は、昭和二二年三月一七日、亡村田省三と礼子の長女として出生し、父母の氏「村田」を称していたが、昭和四七年四月二六日井上誠と婚姻して婚姻の際に定めた夫の氏「井上」を称していたところ、昭和五二年四月五日、右誠と協議離婚をし、同日戸籍法七七条の二に基づく届出により離婚の際に称していた氏「井上」を称していた。ところが、相手方は、昭和五三年五月二五日、静岡家庭裁判所に、民法七九一条一項に基づいて母の氏「村田」を称することの許可を申し立て(同裁判所(家)第六四三号子の氏変更許可審判事件)、同月三〇日右許可の審判を得たので、同年六月六日、抗告人に対し、母の氏を称し愛知県渥美郡○○町大字○○字○○○××番地筆頭者右省三の戸籍に入籍する旨の届出をしたが、抗告人は、同年七月五日、右届出を不受理にしたことを認めることができる。

三  婚姻によつて氏を改めた夫又は妻は、離婚によつて当然に婚姻前の氏に復する。ただ、婚姻前の氏に復した夫又は妻がその氏の呼称として離婚の際に称していた氏を称しようとするときは、離婚の日から三か月以内に戸籍法七七条の二により届け出ることによつて、離婚の際に称していた氏(以下、離婚時の氏という。)を称することができる。このことは、民法七六七条一、二項の条文の体裁や民法等の一部を改正する法律(昭和五一年法律第六六号)による同条二項の立法の経過ないし趣旨(同条項の立法は、氏の法的性質の解決をひとまず措いて、取り敢えず、復氏する者が受ける社会生活上の不利益や復氏する者とその養育する子との氏が異なることにより生ずる不都合を除去しようとするものである。)に徴して明かである。これに対して、民法七九一条一項の「子が父又は母と氏を異にする場合」というのは、条文の位置や立法の趣旨から、民法七九〇条によつて取得した子の氏が父又は母の氏と異なる場合をいうものと解すべきである。したがつて、民法七九一条一項の子の氏の変更は、離婚時の氏を称する子が父又は母と呼称上の氏を異にする場合を含まず、右の場合において子が父又は母と氏の呼称を同じくするためには、呼称上の氏の変更を規定する戸籍法一〇七条一項によつてなされるべきである。

四  そうすると、前記の静岡家庭裁判所昭和五三年(家)第六四三号事件において同裁判所がした子の氏の変更許可の審判は民法七九一条一項の解釈を誤つた違法なものであるから、右許可の審判を得たことを前提として戸籍法九七条に基づいてした相手方の届出は不適法であり、これを受理しなかつた抗告人の処分は相当である。したがつて、右抗告人の処分に対する相手方の不服申立は理由がなく、これを認容した原審判は不当である。

よつて、本件即時抗告は理由があるから、家事審判規則一九条二項一項により原審判を取り消して相手方の右抗告人の処分に対する不服の申立を却下することとし、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 岡松行雄 裁判官 賀集唱 並木茂)

〔参考一〕 抗告申立書(抄)

一 本件不受理処分の経緯

(1) 相手方は、昭和四七年四月二六日井上誠と夫の氏を称する婚姻をし、夫婦につき新戸籍を編製し、昭和五二年四月五日協議離婚をし、同日戸籍法(以下単に「法」という。)七七条の二の規定による届出により、相手方につき離婚の際に称していた氏(以下、単に「婚氏」という。)「井上」をもつて新戸籍を編製した。

(2) ところが相手方は、婚姻前の母の氏(注・父死亡)「村田」を称することの許可を求めて静岡家庭裁判所に審判の申立てを行つた。

同裁判所は右の申立てを認容し、昭和五三年五月三〇日民法七九一条に基づく許可の審判(同庁昭和五三年(家)第六四三号子の氏変更許可審判事件)をした。

相手方は同年六月六日抗告人に対し、右許可審判の謄本を添付した上、母の戸籍へ入籍する旨の法九八条に基づく入籍届をした。

(3) ところで、右の許可審判は、離婚復氏した者、すなわち父母と民法上の氏を同じくする者について民法七九一条一項による父母の氏への変更を許可したものであるが、本来かかる氏変更の許可の審判はなされるべきものではないと解されたので、抗告人は、右の入籍届の受否につき同月八日静岡地方法務局長に受理伺いをなし、同月二六日同地方法務局長の指示を得て、同年七月五日不受理処分をし、同日その旨を相手方に通知した。

(4) 右の不受理処分に対して、相手方は静岡家庭裁判所に対し法一一八条に基づく不服の申立てを行つたところ、同裁判所は右不服の申立てを認容し、昭和五四年四月一三日抗告人に対し、前記入籍届の受理を命ずる審判(同庁昭和五三年(家)第八三九号市町村長の処分に対する不服申立審判事件(以下「原審判」という。)をし、右の原審判は、同月一四日抗告人に告知された。

二 原審判の趣旨について

ところで、右の原審判は、(1)民法七六七条二項と同七九一条一項とを比較し、両者の規定の体裁及び文言の上で別段の差異がなく、氏の性格につき前者を「呼称上の氏」、後者を「民法上の氏」と解する合理的理由がないこと、(2)親子は同氏であることが社会生活上の利益に合致するものであることから、親子の間で同氏でない事情が存する場合は、比較的容易な方法で同氏となることができるところに民法七九一条一項の立法趣旨がある、との解釈に基づき、本件において民法七九一条一項の適用がないとする抗告人の解釈は、同七一九条一項の趣旨に反すること、及び親子の間で民法上の氏が異なる場合と比較して均衡を失すると述べ、民法七九一条一項の適用を認めている。

しかしながら、原審判は民法七六七条二項及び同七九一条一項についての解釈を誤つたものであり、その理由は下記のとおりである。

三 民法七六七条二項の解釈について

(1) 昭和五一年法律第六六号民法等の一部を改正する法律により民法七六七条に新たに第二項が設けられ、婚姻によつて氏を改めた夫又は妻は、離婚後三箇月以内に法七七条の二の届出をすることによつて、離婚復氏後においても離婚の際に称していた氏すなわち婚氏を称することができることとなつた。

このように離婚後も離婚の際に称していた氏を称する制度を設けた趣旨は、婚姻によつて氏を改めた者は、離婚によつて当然に婚姻前の氏に復する(民法七六七条一項)という原則を維持しながらも、法七七条の二の届出をすることによつて、単に呼称のみを婚氏に変更することを認め、離婚による復氏から生じる社会的活動の不便を防止し、プライバシーの保護を厚くすることにあるのである(千種秀夫「民法等の一部を改正する法律の解説」家裁月報二八巻一一号一ページ以下)。すなわち、法七七条の二によつて称する氏は、婚姻前の氏と民法上は同一であり、呼称上異なるに過ぎないのである(千種秀夫。ジユリスト六一七号七六ページ、戸籍四〇二号三五ページ以下)。

更に、法七七条の二の届出の性質については、本届出が離婚により復した婚姻前の氏の呼称を婚氏と同一の呼称に変更する旨の届出たる性質を有するものであるから、法一〇七条一項における氏の呼称の変更と同一であり、ただ、家庭裁判所の許可を要しない、いわば法一〇七条の特則というべきものと解されており、法七七条の二の規定が設けられても離婚復氏の原則を変更するものではないのである(注釈民法(3)親族・相続(有斐閣新書)七二ページ、千種秀夫。ジユリスト六一七号七四ページ以下、乙部二郎。ジユリスト六一八号六八ページ、鈴木健一。戸籍三六八号二ページ以下、戸籍三八二号七八ページ。)。

(2) これを本件についてみれば、相手方は法七七条の二の届出により婚氏「井上」を称したが、これは前述のとおり民法上の氏の変更を伴うものではなく単に呼称上のみ婚氏「井上」を称しているに過ぎず、このように呼称上の氏が婚姻前の氏「村田」と異なつていても、この場合民法上の氏は、離婚によつて当然に復氏しているのであるから、相手方の民法上の氏は「村田」であり、その父母の氏と同一の氏である(民法七六七条一項、同七九〇条一項)

四 民法七九一条一項の解釈について

次に民法七九一条一項による子の氏変更の申立ての実質的要件は、子が父又は母と氏を異にすることであるが、この「子が父又は母と氏を異にする」とは、子が父又は母と呼称上の氏を異にする場合を指すのではなく、子が父又は母と民法上の氏を異にする場合を指すのである(前出注釈民法(3)一一九ページ、仙台高裁昭和四五年五月二五日決定。判例時報五九九号四三ページ、戸籍三八二号七八ページ、戸籍四〇二号三五ページ以下)。

したがつて、本件のような民法上の氏を同じくする者同士間において、呼称上の氏を変更するやむを得ない事情が存する場合は、法一〇七条の規定によるべきであり、(青木義人。戸籍法三五九ページ)、本件と同一事案について右と同じ解釈に立つたいくつかの審判例(大阪家裁昭和五二年八月二九日審判・家裁月報三〇巻七号七五ページ、秋田家裁本荘支部昭和五二年九月一二日審判・家裁月報三〇巻二号一四四ページ、大阪高裁昭和五二年一二月二一日決定・家裁月報三〇巻六号九五ページ)が存するが、これが正しい解釈であつて、このように呼称上の氏を異にする者の間で、その氏を同一とする途は開かれているのである。

五 以上のとおりであつて、民法上の氏を同じくする者の間において、民法七九一条を適用して氏変更の許可を認めた審判(前出昭和五三年五月三〇日審判)は法律の解釈を誤つたものであり、これに基づく法九八条による入籍届は受理しないのが正当である。

それにもかかわらず、抗告人に対し本件入籍届の不受理処分の取消しと、右入籍届の受理を命じた原審判には、民法七六七条二項及び同七九一条一項の解釈を誤つた違法があるので、特別家事審判規則一七条一項に基づき本件即時抗告に及んだ次第である。

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